端的に言うと家族が嫌いです。

端的に言うと家族が嫌いです。 幼少期に身体的、精神的に暴力を振られたことも関係しています。 でも今は、それより、成長しない家族が嫌です。一緒にいたくありません。酒飲んだりテレビ見たりばかりの親に辟易します。時間があるのに無為にしている親や兄弟を見るとイライラします。父は、靴も揃えない、掃除もしない、帰りの連絡もしないよう人です。最近は、ゴミのようにしか見えなくなってきました。 大学の学費を出してもらっているので表立って歯向かうことはしにくいのですが、大学院進学をきっかけに一人暮らしをしようと思っています。結局学費は負担してもらうのですが。 カワウソさん、何かアドバイスいただけますと幸いです。

もし深刻なDVを受けたら、何をも差し置いて家族と距離をとった方がいいのは基本中の基本として、バトンの話をしますのでちょっと聞いてください。
カワウソは教育投資論に興味があって、別に本や論文を読み込むとかじゃなくて、積極的にニュースやら読む程度なんですけど。積極的に読むとですね、質の高い教育を受けた子供は、そうでない子供と比べて生涯賃金にえげつない差が開くっていう、まぁ当たり前に思える調査結果が出ているみたいです。
「教養がある」とはなんだろう?ということにもずっと興味があるのですが、ざっくりいうと心の豊かさ、特に「面白がる力・学ぶ力がある状態」かな?と思います。何かに興味を持ち、学び続けられる心の筋肉があると、仕事、人間関係、自分の人生そのものへ向き合う態度に余裕が出て、良いサイクルが生まれるのでは?とか、日々考えています。

とっくの昔に教育を受ける期間を終えたのに、何を手遅れの夢を見とんねやという話ですが、自分の人生の展望とは少し違います。もちろん自分の人生を何とかするぞ〜!という意気込みもあるのですが、もし家庭を持ったら子供に何をしてやりたいかな?とか、いち社会人として世の中とどう関わることができるのかな?とか、そういう観点から興味があるのです。
世代も地域も違うと思うのですが、国語の授業とかで吉野弘の『I was born』を読んだことはありますか?この詩の視点は「生まれさせられた僕」のものですが、カワウソはいま親の視点の方が身近です。
自分の後に続く人が1人でも今より豊かなサイクルで生き、自分の世代では持ち得なかった知識を得て、礼節を知る人間になってくれたら。大げさかもしれませんが、個人の人生や家庭の単位を超えて、社会や国、世界にとって有益なことです。

今よりも良い未来へ向かう人にバトンを渡すという使命を果たすことができたら、もし自分の人生が貧しい矮小なものだったとしても、大成功、いい人生だったと感じるだろうと思います。
そうして優秀に育った若い人に、(無知で下品だ。あんな愚かな人間にはならないぞ)と軽蔑されたとして、それはそれで良いかなぁと思うんです。古い人間を超えてくれて良かったなと考えるでしょう。それは口すらなく胸元まで卵を抱えるカゲロウも、同じ気持ちなんじゃないかと思います。
なんとなくでいいので、何を言いたいか分かってくれたら嬉しいです。

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