父から離れたいです。逃げたいです。

カワウソさんこんにちは。 私にはどうにも気が合わない父がいます。 その父は機嫌が悪くなると母に当たったり、子供に当たったりします。そしてすこぶる機嫌がいいときは冗談を言ったりアイスを買ったりして家族サービスをしようと頑張っています。 しかしその彼の1日の気分の対比的に8:2です。圧倒的に機嫌が悪い時のほうが多いです。ちょっとしたことで怒鳴り散らしたり(手も時々出してきます)飼い犬にも椅子を投げつけたことがありました。彼のその時の主張は “俺が養っているんだぞ” です。 私は親の都合で海外に移住しているのでどうしても逆らえません。母にも、帰国まであと少しなんだから頑張ろうねと言ってなだめられます。 私は将来的に彼から離れて縁を切りたいと思っています。しかしそうなると母はひとりぼっちです。そう思うと無性に父に腹が立って更に彼から離れたいと思ってしまいます。 カワウソさんのこれと同じような質問を以前見させてもらって、ノートに書き留めてそれを家で、学校でみたりして心を落ち着けてきました。 もう我慢の限界です。 しかし逆らえばどんな事、どんな言葉が返ってくるのか予想がつきます。どうすれば良いのでしょうか。彼から離れたいです。逃げたいです。 長くなって申し訳ございません。 カワウソさんの目にとまりましたら回答よろしくお願いします。

読んでいて涙が出そうでした。カワウソが書いたことが少しでも気休めになったなら幸いです。
あくまで個人的な信条に基づいたことなので、あまり真剣に読まなくてもいいのですが、カワウソは辛いこと、理不尽なことがあったときに「命題を得た」と考えます。
命題とは真偽を明らかに判断できる問いのことを言います。自分の身に起こった事——他者や外部状況からもたらされる受動的な体験、時に被った迷惑でも、まず真実を示す「命題」として捉え、その結果どうなるべきだろう?と考えます。自分がこのような経験をしたのは否定しようがないとして、その上で自分の人格をどうするのか。
他人に対する慰めに「忘れよう」「なかったことにしよう」というタイプの考え方がありますが、真逆を行くわけです。
この考え方は、仏教関係者と関わる機会が多かった時期にすごく影響を受けたので、お坊さんに説明すれば「ハイハイ、そういうのは〇〇というんですよ」と綺麗にまとまった用語で解説してくれるかもしれません。
命題を解析して、原因を考えて、“自分にはこういうタイプの災難に遭いがちだな”と認識し、課題を見つけ出し、どうやって乗り越えるかを研究して、乗り越える。これらの行程を体験した人間になれる機会が来たぞ、という内容を縮めたのが「命題を得た」。
気合い入れて命題に向かっていると、傍目には「他人を怒らない人」になります。でも説明した通り、怒ってないんじゃなくて、別のことを考えてるだけなのです。他人を無視して自分のことしか考えてないので、ある意味で自己中なんですけど、自己中でいいよそんなもんは。
細かい事を言わずに「何でもOK!気にならないよ〜ケ・セラ・セラ!」と明るく言えるのが理想ではありますが、詳細な内訳を出すとこんな感じです。
あなたも命題を得ましたね。お父さんにはとても自分の命題に向き合う心の力はなさそうですが、あなたにはありそうです。あなたが次にやるべきことは、お父さんをやっつけることではなく、生き延びることではないでしょうか。
そして、お母さんは家族ではありますが、別の人間で別の人生があります。なるべく2人分の単位で考えないようにしましょう。荷物が多くてやり場をなくしてしまいます。
あなた1人分の課題は、肉体的なことのみならず、できる限り人間らしい丈夫な心を護って生きて帰ってくること。問題がある父がいたのにも関わらず、他人に憎悪をぶつけない、明るく優しい思いやりのある大人になることです。
かなり難しそうですが、挑戦する価値があると思いませんか?
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